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2011年06月25日

二つあるのはよくある話です。

上内が、なぜ上内と言われるようになったか

一般的には、昔はこのあたりは海辺で
宇治と呼ばれた、宇治とは海関係の地名と言うことで
これが、上宇治、下宇治となり
上内、下内とわかれたとされる。

その説とは関係なく
卑弥呼の家臣の内の将と呼ばれる
将軍様がいたからとする説もある。

今の上坂井地区は、別名を内村と呼ばれる。

これは、現在も使用される呼称だ。

やはり海であったこのあたりにおいて
上坂井地区は小高い丘になっている。

ここに内の将はすんでいたとされる。

内の将が居るところが
中心の内村、東が上内、西が下内。

この説もどこかで得たことがある。

内の将は、魏志倭人伝に登場すると言われたが
そこに見当たらない、私の調べ方がわるいのであろうか?

ただ、上坂井地区には
かつて、神功皇后と、武内宿禰が訪れたといわれる
温泉跡がある。

神功皇后は、卑弥呼説もあり、武内宿禰が
内の将?、、、(飛躍しすぎ!)

こういう裏説にはかならずつきものの
それを裏付けるような事実もあったりする。

戦後上坂井からは、古いお経のようなものが
発見されている、何かが
あの丘のうえにあったことは間違いはない。

ちなみに
神功皇后さまは、上内八幡大神さまの母君でもあります。


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Posted by 矢野高貴 at 11:43│Comments(0)上内千夜一夜物語
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