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2012年08月28日

祭りとは先人の教えかもしれません。

なんだか、最近かいてる
このブログは、祭りを変えると祟るみたいに
思われるかもですが
祭りの起源には、人に見てもらう見物人を集める目的は
ないということを、理解してもらいたいのです。

神社の祭りの、つまりは
定期的に毎年行われる例祭、
またそこに神様が祀られて
神社ができた理由も、○○○祈願のためなどと、
あるならば
祈願せねばならぬ障りが起きてそれを鎮める目的
こそ、神社または祭りの起こりといえます。

また祭りを、人が見物するようになる歴史は、
様々な祭りの起こりよりも
あとの時代だと、研究されているようです。

私の受け持つ神社の祭りにも細々あります。

里芋の味噌汁を、お供えしなければならない神社。

里の中心の四辻で、神送りの渡御を行わねばならない神社。

直会に、生牡蠣を絶対食べなければならない神社。

これらの理由は、今の時代では、地元の古老も
首をかしげることもありますが、
要は、言い伝えです、先人の、教えです。

多くの方が亡くなられたので
あまり良いたとえではないと
感じる方もおられるかもしれませんが
先の東北の震災で、ここより下には
家をたてるなという内容の石碑が、
先人によって残されていたと聞きます。

それと同じ、教えだといえます。

毎年、同じ日に同じ内容の祭りという神事を
繰り返し行うことで、神様が荒ぶる事がない。

そういう事ではないかなと思うのです。

先人が、その土地に後々の時代
暮らす者達に、残してくれた言い伝えが
しきたりとなり、神様の安らかに繋がり
それは御加護となって、また次の時代に繋がる。

これは、伝統でも、文化でもないです。
ある種の、先人の忠告といえると思います。

目には見えないけれど
心に刻むべき、後進に伝えるべき
ありがたくも先人の残した
石碑の文字といえます、
あの東北の石碑と同じだと思います。

なかなかそれに
気がつかない方もあるようで、、、。

だから、私は書いてるんです。





  

Posted by 矢野高貴 at 01:36Comments(0)神社

2012年08月16日

花屋 こはな

先日お知らせした
友人の花屋さん、ホームページができました。

横浜 蒔田駅そばです。


花屋 こはな ここをクリックすると
リンクできるはず。
  

Posted by 矢野高貴 at 20:31Comments(0)神社

2012年08月16日

8月16日。

今日は、何もしない。


今日、出会う男女は、凶。

くる話にろくなモノなし。

墓参りも今日は、凶。


のちのち、ろくなことはない。

今日は、自宅でのんびりされた方が
良い日です。

昨日の、お清めを行いまして
ただいまより、何もしない。




  

Posted by 矢野高貴 at 11:28Comments(0)神社

2012年08月15日

8月15日

日本人にとって
8月15日は
特別な日です。

終戦の日であり、お盆であり
亡くなられた方々を思う、思い起こす日であります。

近年の、またここ数日の周辺諸国の日本への
態度は、容易に許せるモノではありませんが
同時に、正しく客観的に、戦前戦後の日本を
日本周辺の歴史を、探求する日本人を増やすことにも
繋がっておると聞き、悪い面の裏には良い面もあるかと思い、
また私の周辺では、20年前より
この国の立場行く末を、外交経済は勿論
防衛まで含めて
考える方が、増えたような気がします。

それにしてもですが、
現在の日本人のマナーの悪さは
戦後の日本のマイナス遺産で、
静かに神社を浸食していますね。

今日夕方見かけた、犬の散歩、
神社の表通りでですが、
犬が、境内と道路の境界の玉垣に
小便していました。

熱心に普段参拝なさる方がお連れで、、、この犬。

気がついているのか否か?

注意もされず、通り過ぎです。

願いはすれど、、、ですか?

もし将来日本が立派な国になるならば
こういう人が、自分の行いの悪さを
自ら認識できる人になる
国になっていてほしいです。

私より年上の方です、戦後教育情けない。

明日、その箇所はお清めします。


  

Posted by 矢野高貴 at 22:12Comments(0)神社

2012年08月15日

祭りの目的

祭りを、人を集めてわいわいやるのが
目的ではないことをなかなか理解しない人が多い。

まずその前に
祭りの目的を書いてみよう。

たまには、神職の資格の勉強を思い出しましょうか。

一、神様への祈願、いわゆるお願いをする。
一、神様へ献進、つまりお供えです。
一、慰霊荒鎮、つまりは悪霊を鎮めたり神様の怒りを鎮めることです。
一、神恩報賽、いわゆる神様への感謝です。
一、生命力の更新、祭りを通して霊魂の蘇りや、生命力の充実
以上の五つが、養老律令の注釈書 令義解(りょうぎのげ)に記されています。


それに
神様の御神威の高さを称えることを言われています。
いつか紹介した、神道とはなにか という安蘇谷正彦 著には書かれています。

私が、なぜこれにこだわるのかというと
基本がこれなのに、

神道とは関係ないゲームや
人寄せ企画を行い
人を集めて、賑やかに祭りをおこなった
いや、はっきり書こう、祭りを行ってやった!
と自慢する人の増加です。

神様は、今日その方の
心臓を、動かされていることに恩着せがましい
ことは、言われてないのにです。



ですから、祭りの余興は
やらない方が、上内八幡宮の夏越祭に関しては
今のままが一番良いのです。

しばらく何も企画などなかったのですが
すべての方ではないことは、前提で読んでいただくことは当然として、このたびは音楽を流したらという提案がありまして
雅楽と言ったらハナで笑われた、、気がした。

輪くぐりの輪は、罪汚れを参拝者が自ら祓う
自祓いです。

境内で流行歌など、言語道断、どうやら
待機している総代さん方は、退屈に思われたのでしょう。

福引をそばで行っていますから、、。

ささいではありますが、この音楽を流す企画やめさせないと
前例から
なにかやった人の末路が良くない。

宮司が、ダメだって言っていることは
則やめてほしいですよ。


総代さんには、長く総代でいてほしいのですが
長くなると、私が五〇歳とは言え大概年下だから
お立場をお考えにならなくなる、、。

すべて神事だとお忘れになる。

ご立腹されても、伝えねばならない。
直接関係なくても
音楽でも流されて、その方のご家族に
病気や怪我がおこり、私の耳に入れば
なぜ、もっと強く言わなかったのだろうと
後悔してしまうから、伝えよう。


写真は、白鷺です、

白銀川沿いに、多く見られます。

毎朝、境内裏手を飛んでいます。

写真は、芝尾と下坂井あたり、、。

こういう自然を、大牟田は宣伝すればいいのに。



  

Posted by 矢野高貴 at 06:00Comments(0)神社

2012年08月14日

お盆と厄除け

お盆です。

大牟田は旧盆でおこなうので
街中を車運転していると
黒い喪服を着られた方が、歩いておられるのに
遭遇します。

どちらかでの、ご供養にお出かけなのでしょう。

また、夏休みで帰省なさる
息子さんや娘さんが
厄年なのか否か、
御祈祷はやってもらえるかなど
お問合せが、例年より増えた気がするのですが
これはやはり、混沌とした日常の不安もあるのでしょう。

都会で働く息子さんや遠く嫁いだ娘さんが
ご心配な親心なのでしょう。


写真は、蜘蛛、この蜘蛛あの九州北部の大水害の
大雨の中でも、びくともせず今日まで
かなり長くここに陣取っています。

  

Posted by 矢野高貴 at 22:18Comments(0)神社

2012年08月11日

花屋 こはな

友人が
花屋さんを開業しました。

九州ではなく
神奈川県 横浜市 南区

横浜地下鉄ブルーライン 蒔田駅 北口 一番出口でてすぐ

杉山神社さんの横です。

花屋 こはな

TEL 045-512-0587


お近くの方よろしくお願いします。

店主撮影のお店の写真を載せます。

  

Posted by 矢野高貴 at 01:31Comments(0)神社

2012年08月04日

人間ですから、、。

神様じゃないので
失敗はします。

しかし、前回書いたブログ、、。


要は、神社の存在がよくわからないと
いや、よくわからずいると陥りやすい
事なのかもしれません。


神様は、優しくもあり、恐ろしくもあるのです。

カケマクモカシコキという言葉は
口に掛けて、その名を呼ぶのも
恐れ多い神様という意味であり
神社で、耳にする祝詞はこれで始まります。

少し困った問題の小さな芽が起きかけてようなので
書いているのです。


神社を賑わしてやった、カラオケ大会を開いて
盛り上げてやったなどと、自慢する人がいます。

神様に恩を売ってどうするのか?

引っ越してきた人ですが、それまで住んでいた
地域の
神社を盛り上げた実績があると、
言葉巧みに近づく人がいます。

要注意人物です。

売名行為は、我欲です。

自分が、新しい地域に名をあげたい気持ちからの欲望です。

また会社を、経営するような感覚で
宮総代になる人がいます、神様は
お褒めにはなりません。

元々、なんらかの障り
要はむかしむかし祟りと怖れられていたモノを
鎮めるの呪詛が、原型で祭りは、始まった面もあるといえます。

呪詛は、呪い(のろい)という漢字があるので
恐ろしい気がしますが、
呪い(まじない)とも読みます。

お宮参りや厄払いも
無事に過ごせるようにと言う
おまじないの進化した神事の形ともいえます。

要はそういう儀式を行う場所が
神社境内であり、どんちゃん騒ぎの場所ではないのです。

神殿から離れている境内のある地点でも
仮に神殿が、神様のお顔ならば
鳥居のあたりは、足かもしれません。
これは、神様しかわかりません。

人間が勝手に、ここが神殿、拝殿、
と決めているわけで、
酷いときは、平気でトイレも作ります。

神と人が出会う、聖なる場所が神社なのです。

しかし、なかなかそれを知る人が
もしくは感じる人が
総代になることもなく
それを語るには、鼻で笑われるくらいの宮司でございまして
勉強、苦行せねばならん人間のようです、私。

でなければ、間違った、、かもしれない人を
お救いする御祈祷もできないかもしれません。
それでは、間違えたかもの
氏子の方々が哀れでございますから、、。

参考文献
神道とはなにか 安蘇谷正彦著 ぺりかん社

呪術の本 学習研究社刊





  

Posted by 矢野高貴 at 01:06Comments(0)神社

2012年08月03日

8月です。

夏越祭が終わりました。

数年前、とても夏越祭で苦しみました。


福引を行うのですが
問題が起きたのは
福引を行って、お賽銭が増えれば私が喜んで黙ると
発言した、数年前当時の総代でした。

その年、かなり、福引が派手に行われ
苦情その他、何より神様のご意思に背いていそうで
私も家族も、眠れない日々を過ごしました。

矢野家は代々一度も
お賽銭が増えるように、増やすようにと
氏子総代に指示したりしたことはありません。

その昔、
福引は、心優しい総代さんが
宮司の家の生活を危惧され
確実に氏子の方が、夏越祭に参拝するように
さすれば多少なりとも生活の糧が、できるだろうと
行ってくださったものです。

事前に500円で券を購入された氏子さんが
200円くらいの、景品を受けられ
残りの金額は、総代会で、神社整備などに積み立て
用いられています。
実に質素なシステムです。それでよいとの
ご神意を感じています。

景品が良いから、福引を引こうとか
人々に、我欲を起こさせるために
行っているのではありませんし
行ってはいけないのです。

物欲、我欲は、罪穢れです。

罪穢れを祓う神事が夏越祭[輪くぐり]です。

静かに参拝するべき祭りに
カラオケ大会なども実はご法度です。

しかし、勘違いはかなり浸透しています。

お金が集まることより
心から神様にお祈りすることを
広めることのほうが大切です。


私は、誰かが、目の前に
1億2億と大金を積み上げても
この考えを変えるつもりはありません。

100年後、200年後の上内八幡宮、
それが揺らがないためには
過去に多少間違って進んだ方向性を
私の代で、力づくで
戻さなければなりません。

神様は、私にそれをさせようとなさっていると感じるのです。
根拠はなく感じるので、かなりの
勘違いかもしれません。


多少の根拠は過去
、宮司の言葉に耳を貸さず
祭りを賑わすと
突っ走った総代さんは
祭り前日の朝、亡くなられたり
直会終了後、帰宅中に事故で亡くなられたり、また多いのが
家族が必ず
病になられ、その看病で
やがて祭りを賑わすどころでは
ない状態になるからです。

細く長く、静かに続けなさいと
神様は、思われていると感じるのです。

なぜ書いたか、実はそれが、、、、。





  

Posted by 矢野高貴 at 00:24Comments(0)神社