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2012年08月04日

人間ですから、、。

神様じゃないので
失敗はします。

しかし、前回書いたブログ、、。


要は、神社の存在がよくわからないと
いや、よくわからずいると陥りやすい
事なのかもしれません。


神様は、優しくもあり、恐ろしくもあるのです。

カケマクモカシコキという言葉は
口に掛けて、その名を呼ぶのも
恐れ多い神様という意味であり
神社で、耳にする祝詞はこれで始まります。

少し困った問題の小さな芽が起きかけてようなので
書いているのです。


神社を賑わしてやった、カラオケ大会を開いて
盛り上げてやったなどと、自慢する人がいます。

神様に恩を売ってどうするのか?

引っ越してきた人ですが、それまで住んでいた
地域の
神社を盛り上げた実績があると、
言葉巧みに近づく人がいます。

要注意人物です。

売名行為は、我欲です。

自分が、新しい地域に名をあげたい気持ちからの欲望です。

また会社を、経営するような感覚で
宮総代になる人がいます、神様は
お褒めにはなりません。

元々、なんらかの障り
要はむかしむかし祟りと怖れられていたモノを
鎮めるの呪詛が、原型で祭りは、始まった面もあるといえます。

呪詛は、呪い(のろい)という漢字があるので
恐ろしい気がしますが、
呪い(まじない)とも読みます。

お宮参りや厄払いも
無事に過ごせるようにと言う
おまじないの進化した神事の形ともいえます。

要はそういう儀式を行う場所が
神社境内であり、どんちゃん騒ぎの場所ではないのです。

神殿から離れている境内のある地点でも
仮に神殿が、神様のお顔ならば
鳥居のあたりは、足かもしれません。
これは、神様しかわかりません。

人間が勝手に、ここが神殿、拝殿、
と決めているわけで、
酷いときは、平気でトイレも作ります。

神と人が出会う、聖なる場所が神社なのです。

しかし、なかなかそれを知る人が
もしくは感じる人が
総代になることもなく
それを語るには、鼻で笑われるくらいの宮司でございまして
勉強、苦行せねばならん人間のようです、私。

でなければ、間違った、、かもしれない人を
お救いする御祈祷もできないかもしれません。
それでは、間違えたかもの
氏子の方々が哀れでございますから、、。

参考文献
神道とはなにか 安蘇谷正彦著 ぺりかん社

呪術の本 学習研究社刊





  

Posted by 矢野高貴 at 01:06Comments(0)神社