2015年06月06日
終活と聞いて考えた。
最近、終活といって
死を迎えるための準備をする人が
増えたと聞く。
ある方から
転居の通知をいただいた。
この田舎から
終活のために、町中に転居したという
知らせであった。
この方は
兼務神社の
宮総代をしていたけれど
就任早々
祭りの改革をやり始めた。
総代を良いことに
家に前触れも無く
年末年始の忙しいときに
現れては、神事の直会をやめたい。
神事の慣例の何かをやめたいと
次々にいってきた。
この時期が意図的なら
確信犯だが、真実は神様だけが
ご存じだ。
なにぶん私は
なんども多忙時期であることを説明した。
さらに
なんども他の総代の方々は
ご存じなのかと確認するも
自分はその、祭りの簡素化、
私に言わせたら
神様のお怒りになるように
方向転換していることを
皆の総意で任されたとしかいわない。
私は総意であることを
何度も確認したし祭りのなんたるかを
ありったけの気持ちで
説明したが
総意だ、総意だと
主張し、結果
その地域の祭りは
本来の祭神のゆかりとは
かなり遠い様になってしまった。
ところが
この人より年上の方々や
他の宮総代もこの事実を知らなかった。
私や周囲を、だます、いやうまく
言い逃れができるように
たち振る舞っていただけだ、
たとえ言い訳しても
他の年長者や宮総代が知らないことが
おかしい。
それから
数年もたたないで
終活のために、地元を離れた。
その知らせが届いたのをみて
この人がやった祭りの簡素化は
終活か?
自分のためか?
皆のためか?
まかるとも、さらにいきなん。
簡単に言えば
死後、肉体を離れた魂は生き続ける、いや生きよ。
そう書かれた祝詞がある。
徹底した、周辺の整理と
神道はそぐわないかもしれない。
今回の件は
その土地に生き続ける
先祖の魂を
侮辱して、自分は土地を離れたのでは、、、。
わたしは、そう感じたのだが、、、。
所詮、人間は思い道理にいきられないし
死ねないし
よい終活なんか無いとおもうのだが
この人の
余生や子孫のありようは
すべて
神様のご判断とここで書くのは
はばかられるような気持ちにもなるのだけれど。
ある年長の方が
言われた、
神様のそばに住めないようになったんじゃないか、と。
死を迎えるための準備をする人が
増えたと聞く。
ある方から
転居の通知をいただいた。
この田舎から
終活のために、町中に転居したという
知らせであった。
この方は
兼務神社の
宮総代をしていたけれど
就任早々
祭りの改革をやり始めた。
総代を良いことに
家に前触れも無く
年末年始の忙しいときに
現れては、神事の直会をやめたい。
神事の慣例の何かをやめたいと
次々にいってきた。
この時期が意図的なら
確信犯だが、真実は神様だけが
ご存じだ。
なにぶん私は
なんども多忙時期であることを説明した。
さらに
なんども他の総代の方々は
ご存じなのかと確認するも
自分はその、祭りの簡素化、
私に言わせたら
神様のお怒りになるように
方向転換していることを
皆の総意で任されたとしかいわない。
私は総意であることを
何度も確認したし祭りのなんたるかを
ありったけの気持ちで
説明したが
総意だ、総意だと
主張し、結果
その地域の祭りは
本来の祭神のゆかりとは
かなり遠い様になってしまった。
ところが
この人より年上の方々や
他の宮総代もこの事実を知らなかった。
私や周囲を、だます、いやうまく
言い逃れができるように
たち振る舞っていただけだ、
たとえ言い訳しても
他の年長者や宮総代が知らないことが
おかしい。
それから
数年もたたないで
終活のために、地元を離れた。
その知らせが届いたのをみて
この人がやった祭りの簡素化は
終活か?
自分のためか?
皆のためか?
まかるとも、さらにいきなん。
簡単に言えば
死後、肉体を離れた魂は生き続ける、いや生きよ。
そう書かれた祝詞がある。
徹底した、周辺の整理と
神道はそぐわないかもしれない。
今回の件は
その土地に生き続ける
先祖の魂を
侮辱して、自分は土地を離れたのでは、、、。
わたしは、そう感じたのだが、、、。
所詮、人間は思い道理にいきられないし
死ねないし
よい終活なんか無いとおもうのだが
この人の
余生や子孫のありようは
すべて
神様のご判断とここで書くのは
はばかられるような気持ちにもなるのだけれど。
ある年長の方が
言われた、
神様のそばに住めないようになったんじゃないか、と。
Posted by 矢野高貴 at 02:00│Comments(0)
│神社
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