
2011年06月01日
お墓の再建。
私の家の、向こう隣は
隠居屋の跡と親戚から呼ばれています。
ここには、父の曾おばあさんが住んでいました。
このおばあさんは
この場所で、裁縫教室をしていたので
教えていた生徒さん方によって
感謝の気持ちの生前墓が建てられておりましたが
20年ほどまえ、崩れてしまいました。
長い間、そのままにしておりましたが
このたび再建いたしました。
上内を始め近隣の村や熊本の平山あたりの方の
名前まであります。
このおばあさんは名前を津屋といいます。
家紋も入った立派なお墓です。
もちろん遺骨は鼻から入っておらず
埋葬は別の場所です。
裁縫学校の跡地ということです。
昭和19年におばあさんは亡くなっていますから
戦前の、お嬢さんたちの名前がたくさん刻まれています。
ちなみに、昭和7年生まれの私の父の母、
つまり私の祖母がお嫁に来たときは
まだおばあさんは生きておられて
夜遅くまで一緒に
裁縫したそうです。
またこのお墓も、すでに建立されておりました。
隠居屋の跡と親戚から呼ばれています。
ここには、父の曾おばあさんが住んでいました。
このおばあさんは
この場所で、裁縫教室をしていたので
教えていた生徒さん方によって
感謝の気持ちの生前墓が建てられておりましたが
20年ほどまえ、崩れてしまいました。
長い間、そのままにしておりましたが
このたび再建いたしました。
上内を始め近隣の村や熊本の平山あたりの方の
名前まであります。
このおばあさんは名前を津屋といいます。
家紋も入った立派なお墓です。
もちろん遺骨は鼻から入っておらず
埋葬は別の場所です。
裁縫学校の跡地ということです。
昭和19年におばあさんは亡くなっていますから
戦前の、お嬢さんたちの名前がたくさん刻まれています。
ちなみに、昭和7年生まれの私の父の母、
つまり私の祖母がお嫁に来たときは
まだおばあさんは生きておられて
夜遅くまで一緒に

裁縫したそうです。
またこのお墓も、すでに建立されておりました。
