終活。
最初終活と聞いたときは
就活、いわゆる学生の就職活動の事かと思った。
人が、人生の終わりに
色々、死んだあとで生きてる
肉親に迷惑をかけないようにする為のものだと聞いた。
最近、立て続けに
この終活をおこなっている
ご高齢の方に、出会った。
もっとも、私はただですら
高齢の方と接することは多いのですが、、、
私は、自分が死んだあとの現世のことなんか
考えるのは、結局は我欲であると思う。
死んでも良く思われていたいという我欲。
自分が育てた子供がいるならば
死んだあとに、
多少は、葬式やその他の世話をさせてもよいでしょう?
それぐらいの、親としてのことは大概やっているはず、、、、。
というか、この終活、やり過ぎると
度が過ぎて、単なる老害でしか無い場合がある。
あるご高齢の方は
自分もあと何年生きられるかわからないからと、
子供が、遊びに来るたびに
ここに通帳があるとか、
アルバムがあるとか、
葬儀場はここにしろとか、、、色々指図されていた。
そのたびに、子供たちは
辛気くさい雰囲気になって
どっと疲れたらしい。
終活はじめられて10年、その方は
お元気ですごされており、なによりなわけで、
10年前、結果ですが、
辛気くさい気持ちにさせる必要はなかったのですよ。
先に書いた我欲、
死後まで自分の意のままに
生きてる人を、動かそうとしても
うまいタイミングで死ぬわけが無い。
生きている世界が、思い通りはかどらないのに
数日先だって、わからないのに
死んだあとで、自分がいない世界のことで
悩むなんてナンセンスですよ。
そこそこの終活でよいのでは?
私は、今も曾爺さんの代の
諸々で大変です。
60年前、曾爺さんの思い描いたようには
平成の現代は、行かなかったようです。
終活は、そこそこに、死ぬときは死にますよ。
人間ですから、、。
写真は切り株、だれかに
切り株ないですか?って尋ねられたな。
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