神様は見ておられるというのに、、、の2。

矢野高貴

2012年10月18日 15:14



昨日のブログですが、私も含めて
日本人は、あきらかに劣化しています。

マナー、ことさら目上の人や神社に対する考えは
酷いモノです。

私の、経験から考えてですが
昭和5年ころより、前のお生まれの方と
あとのお生まれの方が、一つの境界せんのような
感じを受けます。

戦後の混乱期に、小学生だった人が
一番神社を誤解されています。

ざっくり書きますが
戦前国家のものであった神社は
戦後、すべてをGHQのものにされます。
敗戦国日本は、神社を
没収されたわけです。


そのため、戦後の復興期に
学校の教室が不足し、神社境内は
校庭や青空教室として利用されました。

神社側に抗議はできないわけです。

それまでは、親と一緒でなければ、子供は
境内に容易には、はいれなかったと聞いたことがあります。

また、戦前戦中、小学校、国民学校の児童は
氏神様に、行進して参拝しなければならなかったそうです。

要は、祈りの聖地として尊厳されていたのでしょうが、
GHQは、神社の尊厳を希薄にし、蔑みたかったのでしょう。
この効果は大でして

いまでは、全国の神社は、公園と同等の扱いです。
GHQは、見事に成功しています。

その結果、敗戦後教育を受けた
昭和一桁後半の方々から
団塊の世代が町内会に進出してくると
いろいろな神事の決めごとは
神様は無視され、まるで町内会の
ゴミ出し当番を決めるかの如く、
軽くあしらわれている現在です。

神様が作られた道が、神道であり
人が作れば人道で、神道ではありません。

これは、江戸時代の国学者
本居宣長も言っています。

神様は、この世の中の
流もすべてご覧になっておられるのにです、、、。


写真は、夕刻、神社の西側から稲荷山を望みます。





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