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2018年04月30日

バチが当たることはあるとしか言い様がない。

神社に生まれて
もうすぐ60年。

ずっと見てる。

バチを障りと呼ぶ。

毎年、紙に書いて障りがないようにと
心がけを繰り返し総代さんに
年度行事とともに配っているが
一部の人は
障りが起きるのがバチが当たると
同義語であることを知らないのか
それとも、はなから読まないのか、、、。

今年はなぜか
年間行事に
以下のように記して配った。

祭りのことは口伝でのみで文字に残さず、
しきたりは先人に習うが基本であると、

総代会でどういうわけか
しめ縄の大きさの寸法を
記せみたいな意見が出た、
その意見の大本が
世間話であることに驚く
これは実は重要なポイント。
神様を伝統を大概は軽んじてる方に禍は向かう。
事態は些細なことだが
これが、うまくいかない
各座元が、毎年交代で
大しめ縄を作り奉納されるのだが
寸法は結局その座元の自由に落ち着く。

各座元(各村)の先祖が
寸法の統一を許さないのか
八幡様のお好みか、、。
それとも禍神は、これを餌食と狙うのか?

これを、その総代さんに提案したものは
障るか、

私の書いた文章を
読んでいない総代さんが障るか、
それとも何も起きないか、
忘れた頃に起きるのか
実はこれが一番大きい心配なのだが。

子供の頃
神社のことで
父や母を苦しめる発言をしていた人が
決して、よいことが起きていない
実感をするのに半世紀近くかかるわけで、、。

それをまとめてブログにしたら
それはそれで面白いけれど
ひどい話でもあるし。

それは、ともかくも
今回総代さんにはこの件
言うべきか、否か。

こういう場合は総代さんに提案した人物が
すでに障りに飲み込まれ始めていることがあるので
もう放っておくか、、、。

と思っていたら
年長のわかっている総代さんがいた。

私が毎年書いている内容は把握しているし
どのような人物、つまり敬神や畏怖の念を
神様に持っているかなど、
はじめに提案した
人物の人柄こそ大事と
直感的に捉えていたようだ、
この総代さんに今回は任せるか。


神社のことは意見で動かすことではない。
神様の息吹を感じないならば神様を語るな、
感じるまで心を磨け、魂を清めよ、ですな。

カケマクモカシコキ、祝詞のはじまりは
くちにかけることも(言葉にだすことも)
恐れ多い神様、です。

一見良さそうなことが琴線に触れることがある、
禍神を呼び寄せることがある。

今日はこの辺にしておこう。バチが当たることはあるとしか言い様がない。



















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Posted by 矢野高貴 at 03:21│Comments(0)神社
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