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2017年12月18日

思い出したから、少し書きます。

佐賀県神社庁に伺うことがありまして
そこで思い出しました。

うちの先祖は、
私で十数代この地元で
神主をしてはおりますが、
五代前、私の曾祖父の父は
佐賀県の呼子、加部島の田島神社で
神職をしておりました。

今から10年以上前ですが
曾祖父の弟のお墓が
加部島に残されており
大叔母が、それを気にかけておりまして
加部島を尋ねました。

いろいろ私の親戚を
大叔母は
頼ったようでしたが
呼子まで行っても
烏賊を食べて来るやつはいても
肝心要の、お墓を探したやつは
いないと、いうのです。

あるとき、占いの学校に通っていた時の
同級生が、呼子に烏賊を食べに
出かけました。

私は、彼には先祖の話をしていましたが。
写メが届きまして、
田島神社の鳥居とそこに刻まれた
先祖の名前がありました。

私は、衝動につきあげられ
呼子に向かいました。

明治時代のお墓が
一日で見つかるだろうかと
不安でしたが
当時の関係者を
田島神社の宮司さんに尋ねましたら
たぶんあの家だろうと、教えてくださり向かうと、
島の中腹にあるその家には
おばあちゃんが、縁側で日向ぼっこしていました。
そのおばあちゃんに
お墓を尋ねるとあっさりと
矢野さんの、お墓あるよって、
でも数年前にお骨は合祀されて
納骨堂に入れたけれど
墓標たる墓石は残っているよと、
おばあちゃんを車に乗せて
その場所に案内していただきました。
おばあちゃんがお嫁に来たときから
ずっーとお墓の世話をされていて
なぜ、矢野家の墓があるのか
わからなかったとのことでした。

その年月を思いおばあちゃんには
頭が下がります。
私の一族はろくに探さず
烏賊を食べてきただけ
大叔母から駄賃ぐらいせしめていたかもしれない。
情けない。

その墓石と周りの土を集めて
車に乗せて戻りました。
ひとまずおばあちゃんしかいないので
ご家族への御礼の挨拶は後日来ますと
伝えました、、、。


佐賀県神社庁で
佐賀県の神社庁長様、副庁長様がたと
お話をする機会がありまして
我が先祖のことを図々しくも話題にしました。
そこで
伺いましたのは
田島神社は今でこそ
橋で陸続きではありますが、
海の上、島の中の神社、
外の社会と繋がるのも容易ではなく
当時は、若い神職の修行場所であったとのこと

長くなりましたが
なぜ、先祖が呼子の田島神社へ行ったのか、
理由が今ひとつでしたが
少しわかった気がしました。
感謝。

写真は
田島神社とその鳥居。

10年以上まえの撮影です。
思い出したから、少し書きます。

思い出したから、少し書きます。
















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Posted by 矢野高貴 at 23:10│Comments(0)神社
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