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2011年06月29日

暑いですね、、、。

南九州では
梅雨が明けたそうです。

このあたりは
北部九州?

地図で見ると大牟田市は
九州の真ん中あたりとも思えるのですが、、、。

よく梅雨が明けた宣言が出たあとに
雨が続くことがありますよね。

慎重に梅雨明け宣言が出されることを祈りつつ

もう一雨は欲しいと個人的には思っています。

大雨は困りますが
あじさいが、雨を欲しています。

6月の末だというのに
色がまだまだです。

境内のあじさいが
雨がふれば、まだまだ見頃ですからという
個人的な理由です。

それにしても暑いですね。  

Posted by 矢野高貴 at 20:49Comments(0)神社

2011年06月25日

前回の補足、、、。

一つ前のブログ、

お守りのことです、

いつもざっくり書いていますが

そのざっくりを少しだけ細かく書くと、、、

内符が手作りというのは

内符の神社名などは印刷しています。

内符に、歳神様の一部を、入れ込みます。

その後、御神酒を1体ごとに
おつけして、御神霊が宿るように祈祷します。

御神酒をつけると、印刷していないと滲むんです。

このあたりのことが、手作業という意味で
手作りと書いています。
  

Posted by 矢野高貴 at 23:18Comments(0)神社

2011年06月25日

お守りは丁寧に作成しています。

お守りを、少ないですがいくつか作成しました。

お祓いを受けた方が
お持ちになったり、お正月などに社頭で
頒布するための物です。

内符といって、袋に入いっている
神符は、がんばって宮司が作っています。

袋にいれるのも宮司です。

このあたりは以前ブログに書きました。


うれしいことに、お仕事で神社にいらした
遠方の方が
内符が手作りとは是非授かりたいと、健康守りを
と言ってこられたことが昨今ありました。

ありがたいことです。



感謝!
  

Posted by 矢野高貴 at 21:10Comments(0)神社

2011年06月25日

二つあるのはよくある話です。

上内が、なぜ上内と言われるようになったか

一般的には、昔はこのあたりは海辺で
宇治と呼ばれた、宇治とは海関係の地名と言うことで
これが、上宇治、下宇治となり
上内、下内とわかれたとされる。

その説とは関係なく
卑弥呼の家臣の内の将と呼ばれる
将軍様がいたからとする説もある。

今の上坂井地区は、別名を内村と呼ばれる。

これは、現在も使用される呼称だ。

やはり海であったこのあたりにおいて
上坂井地区は小高い丘になっている。

ここに内の将はすんでいたとされる。

内の将が居るところが
中心の内村、東が上内、西が下内。

この説もどこかで得たことがある。

内の将は、魏志倭人伝に登場すると言われたが
そこに見当たらない、私の調べ方がわるいのであろうか?

ただ、上坂井地区には
かつて、神功皇后と、武内宿禰が訪れたといわれる
温泉跡がある。

神功皇后は、卑弥呼説もあり、武内宿禰が
内の将?、、、(飛躍しすぎ!)

こういう裏説にはかならずつきものの
それを裏付けるような事実もあったりする。

戦後上坂井からは、古いお経のようなものが
発見されている、何かが
あの丘のうえにあったことは間違いはない。

ちなみに
神功皇后さまは、上内八幡大神さまの母君でもあります。  

Posted by 矢野高貴 at 11:43Comments(0)上内千夜一夜物語

2011年06月24日

自給自撮?

久留米の
神社の宮司さんが
ブログに
僕のことを書いてくださっています、感謝!

トラバしています。

櫛原天満宮

トラバがうまくいかないので上にリンク張りました。

境内のあじさいは
数本を省きすべて
僕が、挿し芽から育てました。

自分で育て、自分で撮影する、、。

自給自足、、、、自撮!


被写体を育てて撮影!



カールツアイス50ミリ。





ニコン300ミリ


  

Posted by 矢野高貴 at 21:21Comments(0)神社

2011年06月18日

きょうのあじさい。

先日、ブログに掲載した
あじさいもだいぶ色が濃く、それらしく
綺麗になってきましたが、

全体的には、まだまだです。


今年は雨の割には色が薄いです。

これは先日のあじさい。
かなり色がついています。



これは今日のお気に入り写真。
タムロンのレンズは、緑色が綺麗ですね。


写真は、PCだと拡大できます。  

Posted by 矢野高貴 at 19:11Comments(0)神社

2011年06月16日

俳句コンクール。

上内八幡宮輪くぐり(夏越祭)俳句作品コンクール

 上内八幡宮の茅の輪くぐりは、地元では、「輪くぐり」 と呼ばれ、
三百有余年の伝統ある神事です。
 これは、江戸時代初頭、神職矢野三郎衛門正敏が、応仁の乱以降行われなかった神事を復活させて以来といわれています。
 この伝統ある神事を世に広く知っていただくために、輪くぐりをテーマとした、俳句のコンクールを開催しております。また皆様の御陰をもちまして今年で早くも、第八回となります。
 つきましては、左記の要項をご覧になりご参拝の上、奮ってご応募くださいますようにお願いいたします。

応募要項
一、テーマ   上内八幡宮の「輪くぐり」に関するもの
一、日時    平成二十三年七月三十一日(祭り当日、午後六時より)
一、応募資格  どなたでもご自由にご投句ください。
一、応募規定  規定用紙による(当日ご用意しております)
一人五句以内 投句料 無料
一、応募締切り 当日祭り終了までに投句箱へお願いします。
一、選者    「さわらび」主宰 介弘浩司先生
一、賞     特選十句(記念品、賞状の授与を予定しております) 入選三十句
※特選十句及び入選三十句は、八幡宮境内掲示板にて        展示奉納いたします。

 なお、当日は午後六時より神事、九時終了予定です。六時に、茅の輪前にて、くぐりぞめを行い本殿へ向かいます。
      
主催 上内八幡宮
共催 俳誌「さわらび」  

Posted by 矢野高貴 at 21:06Comments(0)お知らせ。

2011年06月09日

写真集。

写真家の飯田鉄さんと、関東在住のころ
何度かお会いしたことがあります。

飯田さんのことは、ネットや本屋さんで調べれば
どのように活動活躍されている方かが、
僕が、ここでぐだぐだ書くよりも良いと思いますので
お知りになりたい方は、お調べください。

飯田さんが先月写真の作品展を行われました。

関東を離れると疎遠になるかたも多いのですが
飯田さんは、うれしくも前回にもご案内をくださいました。

前回の写真展は
忙しくて何もできませんでしたが
今回も東京までは行けませんので
お祝いだけさせていただきましたら
御礼に、写真集をお送りくださいました。




それも2冊も、、、。

早速、神殿にてお供え、、マジですよ。

飯田さんの、宗教観は存じ上げておりませんが
宮司公私の区別ありませんから
ほぼ頂き物は、こうしております。

その後、拝見させていただきます。

送られた写真集は
「まちの呼吸」文 寺田侑、写真飯田鉄 冬青社刊

「街区の眺め」 飯田鉄 日本カメラ社刊

の2冊です。

ありがとうございました。  

Posted by 矢野高貴 at 21:03Comments(0)神社

2011年06月03日

このブログに関して。

いつも、上内八幡宮宮司のブログをご覧いただき
まして、ありがとうございます。

ブログのコメント欄に、質問が書かれていることが
ありますが、基本私の承認がなければ
質問は反映できないシステムになっております。


また、頻繁に書き込みがあるわけでもないので
チェックも怠っております。

この点、お詫びいたします。

しかし、お答えに困る質問もありますので
その場合、申し訳ないのですが
こちらの判断で、反映しません、この点ご理解の上
書き込んでください。


これらお答えに困る質問の多くは
心霊現象などの相談ですが、このブログでは
お答えしないし、また答える場ではないと
思っています。

このブログ上にある不思議な話は
カテゴリーは、千夜一夜物語、つまり
おとぎ話です。

ご理解をお願いすると同時に
今後も、私の一存でのみ決めますし
お断りもしませんし、それらの内容は反映もいたしません。

書き込まれた方が、礼節を
わきまえておられるのもわかります、
おこまりであるとも思います、されど
こちらにも事情があります。

以上、ご理解してくださいとの、私からのお願いでした。  

Posted by 矢野高貴 at 21:34Comments(0)お願い。

2011年06月03日

色づきはじめました。

あじさいが、色づき始めました。

まだまだ白い部分が多いのですが

赤く色が変化し始めました。


比較的青系のあじさいが多いのですが、

赤も少しあります。



  

Posted by 矢野高貴 at 19:15Comments(0)神社

2011年06月02日

夏越祭の準備。

七月三一日は

上内八幡宮の夏越祭です。

実は、下準備はすでに始まっております。


たいした祭りではございませんが
少しずつはじめております、、、。  

Posted by 矢野高貴 at 22:17Comments(0)神社

2011年06月01日

お墓の再建。

私の家の、向こう隣は
隠居屋の跡と親戚から呼ばれています。

ここには、父の曾おばあさんが住んでいました。

このおばあさんは
この場所で、裁縫教室をしていたので
教えていた生徒さん方によって
感謝の気持ちの生前墓が建てられておりましたが
20年ほどまえ、崩れてしまいました。

長い間、そのままにしておりましたが
このたび再建いたしました。

上内を始め近隣の村や熊本の平山あたりの方の
名前まであります。

このおばあさんは名前を津屋といいます。

家紋も入った立派なお墓です。

もちろん遺骨は鼻から入っておらず
埋葬は別の場所です。

裁縫学校の跡地ということです。

昭和19年におばあさんは亡くなっていますから
戦前の、お嬢さんたちの名前がたくさん刻まれています。

ちなみに、昭和7年生まれの私の父の母、
つまり私の祖母がお嫁に来たときは
まだおばあさんは生きておられて
夜遅くまで一緒に
裁縫したそうです。

またこのお墓も、すでに建立されておりました。

  

Posted by 矢野高貴 at 20:05Comments(0)神社